ハーモニー (ちょっとした福祉のエッセイです)
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ちょっと失礼!
−マンハッタンスケッチより−
車が道を譲るのが文化都市
笑顔がにあう"よこすか" 老人とは何か
こころの垣根 沖縄の当銘さん
敬老と棄老 人と共にあれ

アンカー

ちょっと失礼!−マンハッタンスケッチより−

天気も上々、気分爽快、こんな日には外出するに限るとばかり五番街へ出かけた。

バス停には車イスの御婦人が一人。軽い会話を交すうちにバスが来た。すると、バス中央乗降口が開き車イス用リフトが出てくる。 彼女はなんの抵抗もなくリフトに乗り込み、瞬く間に車上の人となった。一方、車中では、リフト正面の三人用シートに座っていた乗客、 当然よ!てな顔で席を立つ。シートは折り畳まれ、そこに車イスは固定され、バスは出発した。

テキパキとしたこの一連の行動は、ドライバー氏一人の仕事なのだ、実に頼もしく、格好いいではないか。 マンハッタンを走る全バスがリフト付とは、何んと羨ましいことか。

バスはセントラルパーク前広場に到着、車イスの御婦人も「サンキュー」の笑顔を残し、人混みの中に消えていった。

「きっとバリアフリーが充実しているから一人でも外出できるのよね。」なんて声が聞こえて来そうですね、でも、マンハッタンは 近代的ではなくむしろ古い街です。

では何故?とお思いでしょ。その答えは、「ちょっと失礼!」英語で「エクスキューズミー」。この言葉一つで人々の心の中を バリアフリーにしてしまうのです。老若男女、誰でもどんな雑踏の中でも、人々は安全に楽しく自由に歩けるのです。 それと同時に、他人の迷惑も考えぬ傍若無人を許さない毅然とした大人の国だからです。

さあ皆さん!笑顔で「エクスキューズミー」

(画家・横須賀市防災アドバイザー 須藤啓)

よこすか社協だより2001年4月号より

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車が道を譲るのが文化都市

横須賀市は「国際海の手文化都市」をめざしている。まことにけっこうなことである。だが多くの一般市民にとっては、 それが具体的にどういうものなのかのイメージは、なかなか浮かんでこないのではないか。

そこで1つの提案がある。この市を走る車が「直進する権利を大幅に右折する車に譲る」運動を展開してみたらどうだろう、 ということである。たしかに直進車優先のルールはある。だが皆がそれを主張したら、信号以外の場所で右折しようとする車は 相当長時間待たなければならない。そうした時、にっこり笑って右前方の車に「お曲がり下さい」というジェスチャーを示す。 こういう奥ゆかしい車が多い町の人々の心は、まちがいなく優雅でおしゃれである。

今までに仕事で世界の30か国以上を訪れた私の印象では、文化度の高い国ほど、車は自分の権利の主張を控えるものである。

「横須賀へゆくとなにかが違う」と他都市の人々が感じ、全国でどこよりも道を譲る町という評判が立てば、マスコミだって 放ってはおくまい。車に限らず生活のあらゆる面でこうした互譲の精神が生きてくれば、それが本当の文化都市というもので はないか。

「横須賀ではだれもが譲ります Everybody yields in Yokosuka」などと書いたステッカーを貼った車が、カッコよく走っていく 町を皆で楽しく想像してみたいものである。

(横須賀市教育委員 廣淵升彦)

よこすか社協だより2001年1月号より

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笑顔がにあう"よこすか"

今年の6月、ロータリークラブの世界大会が開催されたアルゼンチンの主都ブエノスアイレスを訪れ、 かつてはヨーロッパをも凌ぐ世界でも有数の経済的繁栄を謳歌した国が、現在では、隆盛を極めた当時の面影も無く、 街を行き交う人たちの顔にも殆ど笑顔が見られなかったのが大変印象的だった。

アルゼンチンには、数万人の日本人が移住しており親日的な国であるが、これは、日露戦争の際、 同国がイタリアから購入予定であった<日進><春日>の2隻の軍艦を同国の好意により譲り受け、 これが日本海海戦の大勝利につながったこともあるなど、日本とは古くからの友好国である。

そうした街を訪れ「都市も国家も、何もしなければ衰退の一途を辿る」といった思いが脳裏をかすめた。 私たちの″よこすか″は、今、「カレーの街よこすか」の推進事業をはじめ、2003年に開催予定の 「よこすか開国祭」など種々のイベントの充実化と合わせ、最近完成した「ゴジラの滑り台」・「ヒデミュージアム」など、 街の賑わいづくりに常にチャレンジしている。

また、近年の国家的な戦略であるIT革命をリードする、世界的な先端移動体通信研究機関が集まり宇宙規模の研究が進められている 「横須賀リサーチパーク」は、現在も着々と拡張整備がされ続けており、本市の将来の産業構造を考える上でも貴重な財産となっている。

『人が交流する、産業が起こり雇用が増える、街が潤い生活環境が改善される、暮らしが良くなり暖かい心が育まれる』

そんな仕掛けの継続が不可欠との感を深めるとともに″よこすか″の街を行き交う人たちの『笑顔』をいつまでも見つづけたいという想いにかられた。

(横須賀商工会議所会頭 小沢一彦)

よこすか社協だより2000年10月号より

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老人とは何か

親しい知人が「あれは、ショックだった」と言う。満65歳になった途端に、老人クラブヘの入会を勧誘されたというのである。本人は、70歳代のいまでも、衰えを知らぬゴルフの飛ばし屋で、まだ自分を老人とは思っていないようだ。

米国のカーター元大統領の著書「老年時代」によれば、「『自分は老人だ』と考えるようになったときに老人になる」とある。同感である。老人クラブの果たす社会的役割にもかかわらず、新規会員がなかなか増えない理由がそこにある。

老人福祉法が65歳以上を老人とすることは、今日の「人生80年時代」にそぐわない。国民意識調査でも、「老人=65歳以上」という答えは、三割を下回っている。

老人福祉法ができた昭和38年(1963年)当時は、男の平均寿命が約67蔵で、65歳以上の人口の割合は」6%にすぎなかった。現在では、6%というと、75歳以上の年齢層なのである。

老人をせめて70歳以上とし、老人クラブを「エルダークラブ」か「シニアクラブ」に改める方が、高齢者の共感を得られるのではないか。

豊かな時代に、高齢者の多くは、自分で生活を維持し、家族や地域社会にも貢献できるようになった。「働けるうちは働きたい」「健康で仲間との交流を楽しみたい」「若い者より知恵がある」。たいていの人がそう思っている。

「知恵」とは「社会における重要で不確実な事柄について的確に判断する能力」を意味する。

「高齢社会」を積極的にとらえ、高齢者の知恵が生かされる活力のある社会だと考えたい。

(横須賀市長 沢田秀男)

よこすか社協だより2000年7月号より

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こころの垣根

50年前のいささか昔のこと。米国ペンシルバニアの女子高校の友人を尋ねたところ、生徒も教師も昼食をとっていない。 理由は「1週に1食を絶ってその分を寄付している」から。寄付先は「ララ」という。 この答えに、強い驚きを覚えた。戦後の食べるもの、着るものがない窮乏の時代に、米国から送られてきた救済物資が「ララ」だ。 栄養失調の国民に、特に社会福祉施設や病院は、これに助けられ、学校給食もララから始まったのを知る人は少なくなった。400億円にのぼる物資の恩恵を受けた人は1400万人と聞く。

米国政府でなく、民間の人々が自主的に敗戦国の貧しい人々への心のこもった救援であったこと、その少なからぬ物資が、戦争中の収容所から開放され職も食も不足していた日系人の手で集められたことは忘れられない。

しかも、余剰物資だとばかり思い込んでいた私に、高校生の身銭を切った尊い贈物とは、温かいショックだったのである。

救援物資は、その量に価値があるよりは、「こころの垣根」、「人間の壁」を打ち破るところに意味があるのではないか。

(横須賀基督教社会館館長 阿部志郎)

よこすか社協だより1999年7月号より

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沖縄の当銘さん

はじめて当銘さんにお目にかかったのが、本市と那覇市の民生委員が交流する機縁となった、嬉しい思い出である。 当銘さんは、長いこと民生委員として地域に奉仕し、20年前の当時は、沖縄県社会福祉協議会会長だった。
ニコニコと笑顔を絶やさず、相手を包み込む巾の広さをもち、年若い私との友情を大切にして下さる優しい方だ。 それでいて、悲惨な戦場となった沖縄で、校長として身を賭して子ども達を守りぬいた気骨の人でもある。

10年前、民生委員の方々と来市された当銘さんと、長野正義元市長との3時間に及ぶ、教育者としての労苦と喜び、 そして、福祉の将来についての清談は、忘れることができない深い印象を私に与えた。肝胆相照らすとは、 このような出会いをいうのだろうか。

95歳の当銘さんに対して、本市の福祉に力を盡くし、特に、障害児の生育に希望を託した長野さんは、 11月に白寿を迎えられる。高潔にして清廉、かつ心温かな両先輩の知遇をえたのは、私の人生における 恵みというほかない。

この小文が読者の目に止まる頃、私は沖縄で当銘さんとの再会を喜んでいると思う。
お二人の先生の長寿を祈ってやまない。

(横須賀基督教社会館館長 阿部志郎)

よこすか社協だより1999年10月号より

アンカー

敬老と棄老

『年金を親子で比べ長寿国』なんと、のどかで微笑ましい光景ではないか。
老人ホームで親子2代が一緒に生活するなど、考えられなかったことが現実となっている。
昭和38年に100歳を越えた人は153名だったのに、今年は11346名。実に74倍という嬉しいニュース。横須賀でも20名以上の方が該当する。

私達の寿命は、男77歳、女84歳で、世界の最長寿国になった。不老長寿という昔からの願いにすこしづつ近づいているようだ。

けれど、喜んでばかりはいられない。
『老人は死んでください国のため』、という川柳もある。
残念ながら、みんなが長寿を祝福しているわけではない。高齢化に深い不安を抱いているのも否定できない。

長寿を喜ぶ「敬老」と、これを拒む「棄老」の葛藤が、人類の歴史だ。その悩みは、今日も続いている、と言わなければならない。
敬老を「敬老の日」のみのセレモニーにせず、長寿を心から祝福できる社会をつくりだしたい。目標は遠くても、今から一足一足と歩いていこうではないか。
『その家に老人がいなければ、ひとり借りてこい』 <ギリシアの諺>

(横須賀基督教社会館館長 阿部志郎)

よこすか社協だより2000年1月号より

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人と共にあれ

「今日も、誰も私に言葉をかけてくれなかった・・・」と、毎日、同じ短い文章を書きつらねた日記帳を、孤独死した年老いた女性が残した。どんなに淋しかったことか。

孤独とは、だれからも認めてもらえない存在感の喪失で、孤立と深くかかわる。お互いに言葉をかけあって存在を確認しあうことが大切ではないだろうか。

大きな会社でパソコンに向かう社員は、隣の同僚と話をしない。それは無駄なことで、用があればパソコンに打ち込む。スーパーマーケットでは口をきかずに買い物ができ、駅では券売機で切符を買い改札機に差しこむだけ。
人間の手間をはぶく機械化された生活が広がり、会話を失った味気ない社会でつらい思いに耐えているのは、ひとりぐらしの人のみではないだろう。

倒れてねたっきりになった夫を前にして、途方に暮れた妻が、隣の奥さんの「あなたの御主人はあなたによって支えられているのね」のたった一言に励まされて6年間介護ができたという葬儀での挨拶に感銘を深くした。

アフリカのジンバブエで、村人は道で挨拶しあう。 「幸せですか」「あなたが幸せなら私もです」と。

(横須賀基督教社会館館長 阿部志郎)

よこすか社協だより2000年4月号より


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